しんじょうぶろぐ

高知在住のお笑い芸人をしている新卒ニートブロガーです。

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「死ね」が口癖になっている人を軽蔑するし、人間性を疑う

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死ねという言葉

僕は死ぬほど嫌いな言葉があります。文字通り、「死ね」という言葉。このブログでこの単語を出すのすら嫌なレベル。冗談だとしても許容できない言葉。本当に嫌いな言葉です。実際に僕も使ったことがありますが、もう二度と使わない言葉の一つです。心の奥にズシンという後悔がのしかかります。

 

え、本気?何が面白くてその言葉が口癖になるの?環境的な背景があるの?みんなが当たり前に使ってた言葉だから?大人になってもまだ使うの?ねぇ、そんな言葉のナイフを友人に突き立てて何が楽しいの?どうしたいの?

 

 

いつまで使うの?

僕は大人になっても「死ね」という言葉が口癖になっている人を本当に軽蔑しています。人間性を疑います。「結婚をしたい」「こどもが欲しい」という人がその言葉を使っているのを見ると、すごく悲しくなります。と同時にその人のことを信用できなくなります。言葉を発することに対する責任感のなさと、言葉を発する意味の軽視を感じます。

 

この世界には生きたくても生きられないこどもたちがいて、不慮の事故や不測の災害に巻き込まれた生きたかった人たちがいて、生を信じて必死に病とともに生きる人たちがいます。「死ね」という言葉を使う人へ、例えば「その言葉の本意を考えたことがあるの?本当に死んだらどうするの?」と聞いてみると、「いや、冗談じゃん。」「本気で思ってるわけないじゃん」と返ってくることがほとんどでしょう。その言葉を本意で使う人のほうが少ないのかもしれません。世の中には色んな背景を持つ人がいることを理解しています、だからこそ本意でその言葉を使う人のほうがまだましなレベル。肯定はしたくないですが。

 

 

見たくないものくさいものにふたをする

僕はこの言葉が現代の「くさいものにふたをする」文化に基づいたものである気がしてなりません。今僕らが食べている「肉」は人間の好む形や味を目指し品種改良をされ、えさと生きる場所を決められ、一瞬の自由もなく殺され食肉に加工された元動物です。そんな中、僕らはスーパーで価格と量、それから献立を気にしながら何の躊躇もなくそれらの肉を手に取ります。僕は「死は生を与えるもの」であるべきだと思っています。自然界に無意味な死なんてないし、あるべきじゃない。「いただきます」という言葉の対極にあるのは「死ね」という言葉なんだと思います。食物連鎖の上に成り立つ人生を生きている僕らはそのことをもう一度考えるべきなんです。

 

SNS化が進み、こんなにも情報であふれている世の中では情報の取捨選択がすごく難しくなっています。この情報社会においてはたくさんの人が平気で「死ね」という言葉をインターネット上に書き残し、その言葉をメッセージとして送信し、テレビでは人々の笑いを誘うために堂々とその言葉が放送されています。つまり、先の時代を生きている人々がこの言葉を常用化し、僕らはその常用化した言葉を使っているんです。圧倒的なリテラシー不足です。異常。

 

まとめ

僕が言っているのはただのきれいごとなのかもしれません。
それでも、僕は「死ね」という言葉を誰かに対して無責任に投げつける人を本気で軽蔑します。

 

 

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写真や表現など激しい描写もありますが、いのちについて考えたワークショップです。
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